母が亡くなる日の前後の7歳の娘の様子を書き残しておきます。
母が亡くなるまでの経緯になどに関しては上記記事等をご覧ください。
私の母は「子宮がん」によりこの世を去りました。
また、私自身が一人娘のシングルファザーのため、ここ数年は父母と同居しての4人暮らし(父、母、私、娘)をしておりました。
そのため、娘ももちろんほぼ毎日、母と接していたことになるため、7歳の娘の視点から見ると、その祖母が入院により突然会えなくなったり、かと思ったらすごく痩せ細った状態で家に帰ってきたりまた入院したりと、落ち着かない毎日に混乱していたかと思います。
可能な限りのケアはもちろん毎日行い、母(祖母)のことについては娘には以下のように伝えてありました。
「ばあばは、ガンっていう悪い病気と闘ってるんだよ。でももう治らない病気だから、ばあばに優しくしてあげようね」
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これが正解かは分かりませんが、真実だけを伝え、「そのうち治って元気になるよ」みたいな無責任なことは一切伝えませんでした。
7歳の子が「人の死」についてどこまで理解できているかは正直分かりません。そんな中でも下記のようなことはよく私に言ってきました。
- 死んじゃったらお星さまになっちゃうんだよね。ばあばもそうなのかな
- ばあばがいなくなっちゃったら、じいじだいじょうぶかな
自分の子供ながら、「優しい子に育っていってくれているんだね・・・ありがとう」とは思いました。
その後に母が他界し、家の中に遺体を安置していた時は以下のようなことを言っていました。
- お線香あげるの恥ずかしい
- ばあば、寝てるみたいだね、おきないのかなぁ
- ここにあるおかしはだれがたべるの?
- (5日目ぐらいに)お線香あげた後に心の中で話しかけてるよ、へんじないけど!
母の死に顔は本当に穏やかなものでした。
私自身も、他界してから2日目ぐらいまでは、「なにかの間違いでもいいから、起きてよ・・・お願いだよ・・・」と思ってしまったり、周りに誰もいない状況では、号泣しながら亡骸に話しかけたりもしていました。我ながら、「涙が枯れるまで泣く」という表現がぴったりな程の泣きっぷりでしたね・・・。まぁ日本のこのご時世、こういうことをあまり書くと「マザコン」って比喩されてしまいそうですが、今回だけは許してください・・・(苦笑)
最後に、火葬場での話ですが、骨となった母と対面するシーンが勿論あったのですが、私や親族がすすり泣いている中、開口一番、娘が驚くべき一言を発しました。
「ばあばのガンはどこにあったの?」
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予想外の発言で、その瞬間にいろんな感情が溢れ出てきましたね・・・。言葉にはうまく表せられませんが、「娘は娘なりに現状をしっかりと理解している」とでもいいましょうか・・・。
質問に対しては、骨盤の骨はそれなりにきれいな形で残っていたので、「この辺にあったみたいだね、今はもう燃えちゃって残ってはないよ」といったことは涙目になりながら伝えました。
そういえば、火葬場で驚いたもう一つのこととして、母の頭蓋骨の頭の部分がピンク色になっていたことですかね・・・。要因として、「頭の近くに置いてあった花の色素が影響して、ピンク色になることがある」といったことは担当者の方にあとで教えてもらいました。
ひとまず以上です。
まだまだ心が落ち着かない毎日が続いています。
父も49日の納骨の準備をしたり、仏壇の購入を進めたりと、慌ただしく動いています。うちは無宗教なので、その辺はいろいろと手探りなところもあるようです。
私と父に共通して言えることとしては、本当に今、この瞬間に娘がここにいてくれてよかったです。私も父も、娘がそこにいて笑ってくれているだけで精神的な面で大いに助けられていることを実感しています。(もちろん精神的といっても娘に頼りきりは絶対にダメなんで、そこは徐々に切り替えていきます)
来週の火曜日からは小学校が休み明けだったり、私も忌引き休暇明けで会社に行ったりと、母がいない中での文字通りの日常が返ってきます。
いつまでもくよくよしているのは誰も望んでいないため、前に向かって歩いていきます。
ちなみに昨日今日は娘と猫カフェに行ってました。
この辺の詳細記事も徐々に書いていけるようになればと思います!
おわり。