オタクパパの日常

今はSteamのゲームにMODなどを導入し、自分用のメモとしてちまちま書き記していっています。

母の、お墓への納骨が終わりました

母の四十九日も近づいてきており、先日、本位牌の準備と母の遺骨のお墓への納骨が滞りなく終わりました。
去年の年末から続いてきたバタバタもこれで一旦落ち着く形になります。

家の中から母の遺骨が無くなるとこれはこれで寂しいものですね・・・。
骨壷のままお墓の中に収めた形になったのですが、この寒空の中、お墓に一人置いてくるのも何とも言えない申し訳ない気持ちになりました。家から近い自然豊かなところに母のお墓はあるので、娘と一緒にちょこちょこお墓参りに行ければなと思います。


www.21120903.tokyo

www.21120903.tokyo

ちょうど1年前の2022年2月1日に母のがん宣告を家族で受けました。詳細は上記の記事で。

余談ですが、癌宣告かつ余命宣告を受けたことにより呆然自失の状態で病院の待合室にいるときに流れていたテレビで「石原慎太郎氏 死去」のニュースが報道されていたのを今でも鮮明に思い出されます。石原氏は膵臓がんでしたっけ・・・自分のその時の状況と照らし合わせて、まるで他人事に思えなかったですね。

医者の話では「お別れの時がいつ来るかはもう分からない」といった状態でしたが、意外にも去年の8月ぐらいまでは自宅で元気に暮らしておりました。「案外このまま長生きできるかもね」と、母と一緒に笑いながら話したりもしました。

ただ、10月ぐらいから急激に食欲がなくなり足腰も弱くなりほぼ寝たきりの状態に。10月下旬に意識の混濁が見られて緊急入院。

そういえば、ちょうどこの頃に三遊亭円楽氏死去のニュースが流れており、その急激にやせ細ったお姿を見て、また自分の状況と照らし合わせて人知れず泣いていた記憶があります・・・。

11月に渡辺徹氏が亡くなったときも同じ感じでしたね・・・。昔やっていたテレビ番組の「64マリオスタジアム」が大好きで、母と一緒によく見ていた記憶があります。NINTENDO64も凄く凄くお願いして買ってもらいましたねぇ・・・今でも大切に持っています。

FIFAワールドカップ2022のクロアチア戦のときなんかは、母が生死の境目を彷徨っていたときで、自分が置かれている状況と世の中の盛り上がりとのギャップに頭がおかしくなりそうにもなっていました。

更にはその当日(6日)に水木一郎氏が死去し、12日頃にニュースで大々的に報道されていました。
母はテレビとか音楽にはあまり興味はない人だったのですが、水木氏の「バビル2世 主題歌 」はなぜか大好きで、私もCDだかを買ってプレゼントしてあげたこともあります。(あと母が好きだったのは、「ナイトライダー」や、「特攻野郎Aチーム」など、どんなセレクションだよ 笑)

渡辺氏や水木氏が亡くなることにより、母との思い出が一つまた一つと失われていくのを感じ、あの頃はもう、入ってくる情報の一つ一つに心が疲弊していく毎日でした。

www.21120903.tokyo

亡くなるまでの出来事は上記の記事のとおりです。 (火葬した後、母の骨が納められた骨壷を持ったときに感じた重さは一生忘れられなそうです)



そういったことを乗り越えてきての今ですが・・・今でも母が亡くなったという実感がまだあまり無いのが正直なところです。
母が入院していた施設に2ヶ月前と同じように行けば、「そこにまだ母がいるんじゃないか」という錯覚にも似た感情にたまに襲われます。

でもこれじゃあ駄目なんですよね・・・頑張ります。

私自身、少し現実主義なところがあり、「天国や地獄のようなものは存在は信じておらず、その人の脳の機能が停止した時点で記憶も何もかもが失われてそれで終わり」という冷めた考えの持ち主でした。

ただ、母という近しい人が亡くなったことにより、そういった考えは改め、今はただただ「天国で母のお兄さんや妹さん達と再会できていて、楽しくやってくれていたらいいなぁ」、「空から孫の成長を見守ってあげて」と切に思う次第です。

まだまだ寒い毎日ですが、皆様もどうかご自愛ください。